ごあいさつ

協議会の概略

協議会設立の機運

 南海の孤島、ヤマネコの島、原始の島、最後の自然・・・・。これまでいろいろの形容詞をもって表現された島、「西表」。沖縄の中心都市那覇からおよそ500キロメートル、北緯123度50分、東経24度30分に位置し、台湾中部やハワイ諸島と同緯度の典型的な亜熱帯性気候である。
やんばる300 島の大部分が山からなり、その気候は西表の山々をジャングルにしたてあげ、「南海のアマゾン」をして呼ばしたマングローブの群落をつくりあげている。
 工業の発達にともない公害の多い我が日本の中で、秘蔵の地として注目を集め、自然保護の叫ばれているこの頃である。自然公園指定地域になるのも間近いことであろう。
 古い歴史をもつ西表には、伝説、民謡があり、人々の心のふるさととなっている。だが奥深いジャングル、険しい山々は、東部と西部を隔て、陸の孤島を生み、住民の交流は閉ざされた。
 戦前、そして戦後の一時期を通じて西表を襲ったマラリヤの猛威は、沢山の廃村を生み、開拓の歴史に足ぶみを余儀なくさせた。

協議会の歴史

 虐げられた島。八重山群島におしなべて言えることであるが、過去の歴史を振り返るとそう叫ばずにはおれない。人頭税に泣かされ、マラリヤに苦しめられ、毎年訪れる台風に襲われた昔の人々の生活には、想像をはるかにこえるものがあったであろう。
やんばる400
 1637年(寛永14年)から1903年(明治36年)までの260余年に亘って、八重山の人々は人頭税によって徹底的に搾取された。西表島もその一つである。このような悪政によって痛めつけられた島の人々の悲痛な叫びは、数多くの民謡となって残っている。哀愁のメロディを多分に含んだ民謡からは、当時の生活がいかにひどいものであったかが窺える。文献を引用してみると、「八重山は酷使暗黒の時代と化し、琉球政庁は農民を納税機械として扱った。この悪税制度になすすべを失った農民は、堕胎、えい児圧殺、自殺、脱村、山賊など悲惨非道の窮地に追いこまれた。」とある。